みずたま研究所連絡簿

発覚時に作成しましたが、他の子に利用されなかったヤツです。

いや日記とか書く暇ないんですけどwwwwというか動画作るしかしてないわwwwww

 

とりまひまピンのターンが全くこないのでかなり安定してる模様。ただやっぱみんな意識しすぎてるから切り替えはイマイチうまくいってないからツイッターとかでちゃんと言伝だけしてとか対策してったほうがいいかも。

 

あともうちょいしたら鬼コーチ普通に使えばいいと思う。というかほむぺやってたの鬼コーチ?文章は鬼コーチだけど、たまにそうじゃないセンス入ってるようなきがする。うちらがいま文章読めないのってたぶん鬼コーチへの抵抗だと思う。もうちょい整理できたら態勢整えてやってけばいいんじゃないかな。ほんと力加減だけだと思う。

 

マネージャーっつーかもうプロデューサーくらいでいいと思うんだが?ほんと考えてって欲しい。わたしそういうのぜんぜんわかんない。

名無したん

電車乗ったりしてると、本当にこういうのが遠いことのような気がする。

でもそういうふうになってるじゃん。病んでるのはよくないって。それも人と関わることのうちの一つというか、マイナスの感情を伏せるのって、17歳箕浦かな?言ってたけど、「悲しみのない世界は愛のない世界だから翼なんかいらない」って。ちょっと泣けた。

だって悲しいって一生続くじゃん。癒える悲しいなんて悲しいじゃないじゃん。わたしは根っこから明るくなんて生きていけない。それでも生活は大切、そんなのをどうやってやってけっていうんだろう。わたしには本当にわからない。

 

17歳箕浦と最終兵器は両方怒ってる。あれは自分だけは律する、っていうすっきり感ではない。たぶん悔しいんだろうなと思う。なんで伝わらないんだろうとか。人が好き、それがそういう形になるような感じがする。

わたしもみんな居て居ないような感じがする。あれってなんなんだろう。自分の言葉持ってない?って思う。姉さんが言ってた。「それは本当におまえの感情なのか?」って。それかもしれない。

本当に喜ぶとか、本当に悲しむとか、そういうの知らないのかなと思う。

死んだ人は星になるとかいうデタラメ、教えないで欲しいんだよ。わたしは星が好きなんだよ。どうしていい加減なこと言うんだろう。本当つらい。

名無したん

服装:巻スカートにジーナシスの黒いの

体感:ほぼひまさんっぽい安定感

やったこと:動画と美容院

 

昨日のすごいなーと思った。隅田川たんの。

あと、わたし名前の自覚あんまりないかもしれない。学校とか仕事とか、そういうところで名前呼ばれてた人は自分がそうだっていうのあるんだろうけど、わたしは正直ピンとこない。

 

あほの箕浦のつもりで美容院行ったんだけどもっとフワフワした穏やかな子だった。鬼コーチ出かけたから、自分の言葉で話すようにしたらゆるんだ。

鬼コーチは確かに自分を納得させたいというのはあったと思う。思い返してみて、あれ撮ったときってなんか会話に流れが先に組まれてたというか、うーんああいうのはやっぱり人を圧迫するんじゃないのかな。

みずたま開業したのって兄さんが起業したあといろいろ言われてたのもあるよね?税務署はもっとぽやぽやした子が行ってた気がする。だから最初は鬼コーチじゃなくない?あと屋号決めるのに妹とラインした覚えがある。あの時点では別に鬼コーチ臭あんまりなかったよ。あと、うちらって「所長」って柄じゃないじゃん?たぶんそれで鬼コーチ出たんじゃないの?

ただ開業のコメントがかなり円卓に傾いてるというか、両親の話が出てるからそれは鬼コーチかもしれない。

てか本当に多重人格わかってなくて申し訳ないことしたなってことあるよね。笑ってごまかしたり、はたまた乱してしまったり。わかってよかったよ。

鬼コーチは人の気持ちわからんよ。理屈がわからないとなにも言えない。想像力というか、相手に対するゆとりというのがない。思い出してて疲れた。

 

前に薬物調べてたとき、

「喜びすぎた記憶、悲しみすぎた記憶、怒りすぎた記憶、楽しすぎた記憶、それぞれが人格化する」っていう中毒者の書き込みを見た。なんとなくわかる。怒りすぎた人、悲しみすぎた人は、やっぱり喜びや楽しさを切り離さなければ持ちきれないんじゃないのかな。こういうことって当たり前のことのような気がするけど。

でもなんかうちらってプラスに跳ねすぎる感情をあんまりよく捉えないじゃん。あれは17歳箕浦のおかげなのかわからないけど。最初からスレてたせいなんだろうか?そのおかげで、わたしらは辛いことのほうに身を置けるような気がする。

 

本当にそうだなと思ったのは、震災だなんだで自粛とか、目に見えるところだけそうやってするのは自己満じゃないかって。目に見えない場所で、いつでもそういうことは起きてる。でもそんなふうに広く世界を捉える人なんていないんだよ。自己満なんて言ったって伝わらないし。

わたしらはわたしらの生活をいとなむ。それに尽きると思うよ。

楽しいことの裏側にいつでも辛いが張り付いてて。笑うのがそれくらいのことだってみんな知らないんだよ。泣くも笑うも重さは同じって。たぶん普通の人は違う。つらいときに泣き、楽しい時に笑う。わたしらはずっと両方抱えながら来たから違う感じ方をする。

でもそれはさっきの目に見えない場所で、っていうのと同じだと思う。

てか箕浦がこんだけヤバイ理由割れた隅田川議事録

箕浦がかなり早い段階からなんかしら重力があったとしか思えないんだよね。わたしは実家に住んでる婆さんが原因だと思う。姑問題的なヤツ。てかわたしって違和感あるから男子なのかもしれないけどわたしって書くわ。あれwwwやばいwwwこんなことあんのwwwてかたぶんわたし男気モードの隅田川たんだwwwわたしって単なる一人称だと思ってたけど女臭さ感じるとすごい違和感あるわやばいなんか詰んだwwwたぶん男子と飲んでたからなのかなwwwひまさんが男子と同化したのかなつらいwww

 

まあいいや続ける。

よく話に聞いてるじゃん。盛岡のほうでもよく聞くし、というか箕浦は長女だし、よくある妹のほうにかまけてとか、あれは箕浦だったら3歳、でも症状の出来方が3歳以降のものとは到底思えない。

それで大妖精様は、次女は盛岡で産んでる。絶対なんかあったんだろう。

 

婆さんちょっと頭おかしかった。といっても、今はもう話せる。それは大人によくあることで、老人近くなるとなんか「社会」ってものからはずれて冷静にモノ見れるようになる。そうなると、あんなことしなきゃよかったとか、もっと好きなことすればよかったとか、いろいろ気付きはじめる。婆さんもそのよくあるパターンなんだと思う。

婆さんの記憶はいろいろある。なんか大妖精様の悪口みたいなの吹きこまれたりとか、鬼コーチ時代の箕浦がヤケクソみたいな怒られ方したり、無理やりなんかさせられたりとか、でもそういうのは鬼コーチ時代。問題なのはその前なんだよ。

 

想像できるのは、まあとにかく大妖精様の感受性の強さというか、あれだけ神経質になってしまう素質、というのもあるのだけど、その環境に置かれた時、17歳箕浦の暴走のときのヒステリックを考えればなんとなく理解はできる。17歳箕浦の頃のほうがおそらくまだマシ。発散できてるから。

 

盛岡から関東に嫁いで、家にはオカシイ婆さんとアスペ親父と乳児。界隈に友人もいない。そこで煩わしいご近所付き合い。あー想像しただけでだいぶありえない。そら箕浦期待掛けられるわ。しんどかったろうなとかいう言葉もなんかしらけるようで言いたくない。

 

17歳箕浦がなんでかキレられたあの時の言葉はこうだ。「育て方間違えた」

17歳箕浦はそこで反発心を憶える。おまえに育てられた憶えはないと。確かにそうだ、大妖精様に育てられたのは乳児期のひまさんのみ。記憶なんてない。17歳箕浦の意識がうまれた瞬間というのは、中学一年のときの校庭。確実にそうだと思う。

で、大妖精様サイド。「育て方」っていうのは、大妖精様の仕事だ。ベビーシッターとか幼児教育とか。大妖精様のストレスは子育てへ向かう。まあ仮説としてだが。そうなんだけど、そういう強迫的に行われることにはどうしても見えなくなるものがある。それがとりあえず相手の表情。疎通が取れているのか?というのは無意識のうちにできなくなる。宗教勧誘してくるヤツとかそうじゃん。まじで迷惑そうにしたってお構いなし。あの心理状態。よかれと思ってやってると特になんじゃねーかな。無意識だから当人はもちろんちゃんと疎通が行われていると思い込んでる。それがまずある大妖精様と17歳箕浦の認識のズレ。

 

「あんたは何も頑張ってない」というのもあった。

そこで17歳箕浦はなぜかリスカ跡晒してふざけんなとキレる。確かにそれ以外に17歳箕浦の頑張りを見せる方法なんてない。17歳箕浦が頑張ってたことは、明るく振る舞うことだ。理解されない神経症症状の中でせいいっぱいの愛情表現というか、そらみんなで明るく暮らしたいんだよ。17歳箕浦もわけわかってなかったからああいう出方になった。そこ頑張ってあとは症状にやられてなんにもできない。いやー考えれば考えるほどズレすぎてるw

みんなに見えてたのはあほの箕浦だけだ。あれはどう考えても17歳箕浦が産んでる。それがいきなり泣き出したりキレたり意味わかんないのも無理ないと思う。

 

気付かれないのがいちばんいいんだけど、気付けよというのもある。というか、気付かれない限りは気付かれない努力を続けなければいけない。そういう風になってる。それはおそらく17歳箕浦に限ったことじゃない。

 

で、乳児期か。

おそらくその強迫的になって乳児期ミニマム箕浦との疎通ができなくなってたっていうのが一番の原因のような気がする。ああいう症状って出たり出なかったり、自覚があったってコントロールしたり把握したりできるもんじゃない。無自覚のうちに、たとえば「音が聞こえない」とか、「表情がわからない」とか、もしかしたらそういう症状もあったかもしれない。そういうのがあれば、ミニマムザ箕浦は「無視された」「冷たくされた」と感じる。あの素質にあの環境ならそこまで症状出たっておかしくない。出てても不便がなきゃ気付けないんだけど。

 

つまり完全に悪いヤツはいない。しかも総監督はここまで読めてない。あの気迫でわかる。まあなぜなら箕浦の症状がここまでヤバイっていうのに気が付いてなかった。このレベルっていうのがわかれば総監督だってそんな学校教育やら親の教育方針なんかにこだわってない。

 

と考えると17歳箕浦の動画が全く的外れになってくる。ヤバイwまあでもあれはあれである。実際箕浦のストレス要因にはなってる。でもそれがストレスになるには受け皿が必要。あんなのがあったって無視して暮らせるヤツだっている。

 

知るのが怖いうちは、きっと誰かが悪者になると思ってる。

そうじゃない、それを理解するにはやっぱり知るしかないんだと思う。

それは私だから言えることだ。17歳箕浦が一人だったらここまで考えることができない。あいつはそういう記憶が想起されると怒りしか沸かない。そういう設定になってる。あいつが言うように、神経症は脳の防御作用。危機は怒りによって避けられる。危機じゃないよっていうのは他人が教えるしかない。当人は気持ちでは攻撃したいなんて思ってないよ。ただ怒りが沸く。

 

多重人格(って言い方は避けたいところだけど)に気付いて本当に良かったのは、こういうやりとりができること。

人のことがわかればわかるほど悪いやつがいないことがわかってくる。しかもこんなこと、ぜったいに自分のことなら話さない。言い訳に聞こえたり、自慢に聞こえたり、押し付けがましくなったりする。でも他人が言えばそんなことない。それが自分のなかで出来るっていうのが本当にすごいと思った。恵まれてるとしか思ってない。

 

結局のところ箕浦はひまさんだ。でも人の痛みがわかるおかげで超絶平和主義なひまさんだ。それがなんとなくわかるし、箕浦の原型が残ってたのは本当に奇跡だと思う。掃除好き洗濯好きで助かってる。ひまさん以外はあんなのやりたがらない。あとのヤツはひまさん連れた生活にかまけるばかりだから。

マネージャーの名無したん管理室

 あほの箕浦だがさwwwwwwww

買ったりしなくてもその対象物と同化する?というか、そこの世界に入り込むとそれは自分の物になるっていうのを知ってて(逆にそれやらないと自分のものにはならない)、三回くらい通ってあれは自分のものになってるんだけど、そうするともしかしてそいつだけのわたしができるとかいうやつなのかもしれない。んなこと言ってたら多重人格とかほんとまじであほくさいよw

名無したん - みずたま研究所連絡簿

 

 おいちょっとまてwwwwwwこれぜったい原因じゃねえかwwwwwww
わたし「普通の人と違う所探し」してんだけど、確実にこれは違うwwwwwww
 
17歳箕浦の格言が「人生は渾身のお散歩」だぞwwwww
どちらかといえば名無したんたちのほうが箕浦の人生のメインなんじゃねえのwwwwwwうけるやばいwwwwwwwでも青野先生が「遠回りして結局戻ってくる」とか言ってたんだが、戻るというのがもはやどの道なのか意味不明wwwまあきっと先生が言ってたのは17歳箕浦の話で、ひまさんで考えると、やっぱり素のひまさんってことなんだろうな。いろいろメタモンの変身はするのだけど、結局メタモンという実体があるわけで。そういうのなんだろうな。
 
あと思ってたけど、恋してたとこにいたのは龍ケ崎たんだけではない。あれは、会ってないときのしたたかな子だ。会っても記憶がなくなってしまうから音楽や風景と一緒に保存してる。牛久のジプシー・サンディーの子、某公園の子、マイブラと隠れ家の子、そのときそのときの彼といっしょに保存されてる。
というのも、たぶんだけど、彼もわたしと似ていてそのときそのときで違うからなのかなと。で、どの子も酸素がとても薄かった。ただわたしがこうやって表に出したからもうそっちにも酸素行ってると思う。お散歩コースにちゃんと組み込むわけだ。
憶えてられないから傷一個ぐらい付けてくれって。だれが言ってたのかはわからない。
傷一個つくと、メインルートにいる箕浦が気が付く。あ、これはまずいってなって。そうでもしないとルートに入れなかった。「残せない恋がつらい」っていうのも誰が言ってたのかはわからない。よかったねとはおもうけど、あの子たちはいまだにあのあたりに住まってるんだと思う。
ただもう苦しそうではない。青さが感じられなかったあの青空には色がちゃんとあるし、それぞれがなんか取り戻したような感じがする。空がきれいとか自由な木とかそういうの。で、それぞれのしあわせ感みたいなのを楽しく過ごしてる感じがする。
龍ケ崎たん以外は実はべつに恋してたわけじゃなくて、「自分が自由に過ごせる」っていうのに対する思慕だったとおもう。
誰かが、「幼稚園のときみたい」って言ってた。自分に何も求めてこない人といるときだけ、わたしらは本当に自由になれて、それ以外のときはそこに求められるヤツになる。別に重力感じないようになってるからぜんぜん苦ではないんだけど、ああやってその気付いてない重力を悪賢く利用されたりしたときに問題がうまれる。ちよちゃんが休日動けなくなったみたいに。
 
もーなんでも正直に喋って大丈夫なんですよ。なぜなら、ひまさんがいい子というのがわかったから。
 
じゃあとりあえずマネージャー的に、いそうな子を上げておく。
 
下妻の菜の花畑、矢祭の夢幻の滝、道頓堀、高校の小教室の外の17歳もまた違うよね。寺山修司の机の中で蛍と一緒にいるのはひまさんか?
あと箕浦の趣味上げてけばいいのか。
写真、本、宇宙、動物、植物、料理、歴史、お琴、美術館、博物館、着物、ビール、赤ちょうちん、浅草、
 
音楽がすごいな。たぶん膨大な風景が仕込まれてる。
マーラーモーツァルト、ベートーベン、ヘンデルラフマニノフショパン、まあ基本的にクラシック好きなのはひまさんだ。
メサイア53番でひまさんはいたたまれないほどのお祈りをする。
「屠られた子羊こそ、富、名誉、賛美、権力、なんたらを受けるにふさわしい方」
ひまさんはわかってたのかもしれんな。が、どうしてそうなってるのかはわからないという。だからせいいっぱいのできることがお祈りなんだろう。
 
というか文章書けんじゃんわたし。途中から人変わったやばいwどうしようwわたしだれw名無しだけどわたしもマネジメントしてくわ。

名無したん

動画見てて心臓重たくなって過呼吸してからちょっと体感がオカシイ。超新しいというか動画超面白いし参加したいからまだ発掘されてない人だとおもうw

わかるのは、美術館。ダリの絵は特にわたしっぽい。

大公の聖母貼ってあるのは、べつに聖母とかいうのに神聖さがあるわけではなくて、部屋とあの違和感というか、あのポカンとした感じがたのしいというか、部屋でなにがあってもポカンとしてるのが面白いなという感じですw

 

美術館に行き始めたのは、母にダヴィンチ展のチケットもらってから。それから楽しくてよく行った。夢二美術館はわたしの趣味じゃない。あれはひまさんだ。

わたしはおそらく、あの静物画の前だ。

買ったりしなくてもその対象物と同化する?というか、そこの世界に入り込むとそれは自分の物になるっていうのを知ってて(逆にそれやらないと自分のものにはならない)、三回くらい通ってあれは自分のものになってるんだけど、そうするともしかしてそいつだけのわたしができるとかいうやつなのかもしれない。んなこと言ってたら多重人格とかほんとまじであほくさいよw

 

わたしはあのフェルメールの黄色い服の子を何回か見に行った。でも、あれは自分のものになるというか、あの光のふわっとした感じ、あれが二度目三度目と立体感がなくなってしまって、ちょっと残念になった。間をあけて見に行ったって最初ほどの立体感はないと思う。それが残念だったけど、さっきわたしが動画見て面白かったのと同じで、あの初めて見るフェルメールの光、あれがまた見られるっていうのがすごいし本当に大切にしたほうがいいような気がするので、もしまたわたしが見に行ったのが来たら見に行って見て欲しいです。

ひま

心配のないしあわせはにせものだろうとおもいます。

心配をなくしたいのはにせものです。

心配がないと、たいせつにしませんよ。

わたしはしあわせです。